竹沢→竹美山→北の冨士勝明→北の富士勝明→北の富士洋行[5]→北の富士勝昭→北の富士勝晃→北の富士勝昭
マッチョ シスター シャンソン ミズバシ ストック オタワ ビピンセット モカシ クアヘン ランプ ジョー たけのこ ハットピン スコー どひ ノーサンキュ ケース ブイカッタ バウハ テイクオフ ジェム デグレー バラモン ライト コモデ ダイナモ いえごん ミドル 陣の風 タブロイド キシレン オー ラテン レディ ムートン クオンツ パペット ユーレカ ホーム ターフビ ジュゴン オフショ パリジャ オフラ ブランド 学園祭 プロッター チャマ ハンドマッ バール
成績 [編集]
(不戦勝・不戦敗も成績に含む)
幕内通算成績:64場所 592勝294敗62休 勝率.668
横綱通算成績:27場所 247勝 84敗62休 勝率.746
幕内最高優勝:10回(うち全勝3回)
同点:1回
次点:3回
年間最多勝:1969年(63勝27敗)、1970年(75勝15敗・玉の海と同数)、1971年(73勝17敗)
三賞:殊勲賞2回、敢闘賞1回、技能賞3回
金星:1個(大鵬)
通算(幕内)連続勝ち越し記録:26場所(歴代6位タイ・1967年9月場所?1971年11月場所)
各段優勝:十両1回(1963年11月場所)
引退後 [編集]
親方として [編集]
1974年7月場所中に現役引退、年寄井筒(12代)を襲名。引退披露興行では断髪後に白のタキシード姿で登場し一曲歌って会場・関係者を驚かせた。短期間に40kg近いダイエットを敢行し、ダイエット後のスリムな容姿でこれまた周囲を驚かせた。
井筒部屋(現在の部屋と別系統)を興したが、1977年10月の元横綱千代の山没後に部屋合同の形で九重部屋を継ぎ、第61代横綱北勝海を育てた。また、師匠でもある先代から引き継いだ弟子千代の富士を大成させた。千代の富士とのやりとりは漫才の掛け合いのように軽妙で、しきたりの多い角界には珍しく映ったこともあり千代の富士が一気に横綱までの階段を駆け上がった際には記事の題材によく取り上げられていた。一方で前妻と離婚し不惑を超えてから元ホステスと再婚したり交友関係や北天佑の弟の素行不良に対する制裁を指揮していた疑惑をかけられるなどスキャンダルで紙面を賑わす事も多かった。
1992年には引退したばかりの陣幕親方(千代の富士)に九重部屋を譲って、年寄18代陣幕に名跡交換[10] 、自身はその後八角部屋に移籍した。理事昇格後は長らく審判部長を務め、元力士とは思えぬ美貌と場内説明時の饒舌さで土俵に華を添えたが、実は審判部副部長(役員待遇)時代に不祥事を起こし、一度委員(無任所)に降格されながらも審判部副部長に返り咲き、更には審判部長に就くという異例の人事であった。その後は新設された広報部長を務めた。
1998年に相撲協会理事選の候補からはずされたことで協会を退職し、NHKの相撲解説を務めている。2002年に弟子である千代の富士、北勝海の2横綱を従えての還暦土俵入りは行なわれたが、既に相撲協会から退職していたため国技館が使えず、都内のホテルを借りての披露となった。
千代の富士の横綱昇進直後に「辞めるときは綺麗に辞めような」と引き際の潔さを説いたのは有名だが、1992年5月場所前まともに相撲が取れる状態ではないのに出場を決意した北勝海に対して前師匠(このとき部屋の師匠は千代の富士に譲っていた)として諭し、北勝海に引退を決意させた。
解説者として [編集]
解説者としては歯に衣着せぬ切れ味鋭い解説が好評を博しており、藤井康生アナウンサーとの「毒舌コンビ」や、それに舞の海秀平を加えた「漫才トリオ」、そして吉田賢アナウンサーとの「居酒屋コンビ」を結成し、初日・中日・千秋楽における舞の海とのコンビは大相撲中継の名物となっている。また、舞の海と共にわかりやすい解説で好評の荒磯(元関脇琴錦)を絶賛している。
自身が「黄金の引き足」と言われる程、引き技の切れが鋭かった事(ただし「黄金の・・・」は自称だったともいわれる)から、千代大海、千代天山ら、弟子筋の力士の引き技による自滅などふがいない相撲に対しては容赦ない叱責が飛ぶこともしばしば。千代天山が引き技で敗北した際、「げんこつをあげたくなるくらい悪い相撲」と評したことは好例である。このとき北の富士は、取組前までは千代天山の素質などを大いに褒めていた。弟子筋の力士に対するコメントは、引き技に関するもの以外でも辛いことが多い。
特に北勝力に対しては相当辛口である。中でも2004年9月場所千秋楽で北勝力が土佐ノ海に四つ相撲で敗れた。この場所北勝力は終盤5連敗で5勝10敗。北の富士は「土佐ノ海は四つ相撲でもそれなりに取れるけど北勝力は四つに組んだら何にもならない。自分から四つに組んでいるようにも見える。どうしようもないねえ?。こんなんじゃあ?。」と酷評。実況していた刈屋富士雄アナウンサーも、「そうですか。」としか言えなかった。北勝力が勝っても「まあ、今日は良かったんじゃないですか。」程度。負ければ北勝力の相撲を切り捨てている。
魁皇にはこれまで何度も横綱昇進の期待を裏切られたせいか、2006年7月場所序盤好調にもかかわらず「期待していませんから」と北の富士流?の解説をしていた。その北の富士の予感通り魁皇は場所終盤で失速、結局9勝6敗に終わった。
貴ノ花が亡くなった際、思い出に残る取組として上述の1972年1月場所の取組が多く取り上げられた。北の富士はNHKのインタビューで「あの相撲は俺の負け。俺の手はかばい手だった。認めたくないが認める。生涯に残る相撲」と涙ながらに振り返っている。後にNHK総合テレビで放送された貴ノ花の追悼番組では北の富士が進行役を務めている。
なお、大関以上の経験者がNHKの相撲解説者になるのはテレビ放送開始以来初めてである。
正面解説に北の富士、向正面解説に舞の海が担当をしていたある場所。舞の海が真面目に喋っている時、北の富士が自分の出番じゃないからと、大きなアクビをこれ見よがしにしていた。それを見ていた舞の海は、悪戯してやろうと思いつき「それは北の富士さんに聞いたほうがいいんじゃないですか?」と唐突に話を振って慌てさせ、中継終了後に「急に話しかけるんじゃないよ!」と叱られる。しかし数日後の中継では「それは僕よりも舞の海さんの方が知ってるでしょ」と同じ手口の仕返しをして喜んでいた。
2004年9月場所初日では、国技館内限定FMのゲストKONISHIKIが、スナック菓子を食べながら解説をしている姿がカメラに映し出され、北の富士「(KONISHIKIに対し)オイオイ、太るよ!」、藤井アナウンサー「いや、もう太ってますが・・・」というやりとりがあった。しかもその後藤井アナが「今でも280kgあるそうで」と引退後のKONISHIKIダイエット企画がリバウンドに終わったことをばらしてしまった。
藤井アナとのコンビの際、時に藤井アナが不用意な一言を実況中に述べた際には、すかさず忠告または注意を促す発言を行う場合も多い。
白鵬、把瑠都、鶴竜には、期待を込めて熱心に見守っている。特に白鵬に関しては十両?新入幕の頃から、高い素質と恵まれた身体能力に目を付け、「大鵬二世」「いずれは横綱になる逸材」と予言していた。
粋なおじさんといった感じの着物姿で登場するかと思えば、いかにも往年の現代っ子横綱健在といった感じの奇抜な色のスーツで登場することもあり、独特のファッションセンスを誇る。しかし2007年9月場所頃からは、着物姿での登場が殆どである。
2008年5月場所の13日目のNHK解説で着物姿に口髭を蓄えた風貌で登場する。が、同場所千秋楽には髭をさっぱり剃ったスーツ姿でNHKの解説に出演。髭の風貌が任侠に見えなくもないと苦情が寄せられた可能性がある。以前にもNHKの解説にスーツ姿に茶色のサングラスで出演したことがあり、幕内力士土俵入りをはさんで通常の眼鏡に変えていたという経緯がある。
2007年9月場所千秋楽では、白鵬対千代大海の結びの一番で、「まぁ、白鵬が負けるとは思えないですけどねぇ。なんならあれですか、坊主にでもしましょうか?」といった爆弾発言でファンを驚かせた。[11]
2008年9月場所のある取組の終了後、その相撲について実況アナウンサーから質問されたが「ご、ごめん。ちょっ、ちょっとよく見てなかった。」と解説者としてはあるまじき返答。それを聞いた実況アナウンサーは、「(当時力士の大麻問題が大きく世間を騒がしていたのを利用して)角界の将来のことを考えていたのでしょうか。」とうまくフォローしていた。
現役の大関・千代大海に対しては孫弟子であるせいか、毒舌ぶりが凄まじい。特に2008年11月場所では、大関角番では無かった千代大海に対して、取組直前に「どうせ角番でしょ?」と言い放つ。その北の富士の大きな勘違いにNHKアナウンサーは絶句、「さすがにそれは失礼だと思いますが…」と言われていた。
とある取組の終了後、花道のリポートをしているアナウンサーが、負けた力士の付き人の花道での様子を伝え、「(負けた力士の付き人が、その取り組みについて)モニターを見ながら、「ああ、足が出てない・・・」と言ってました。」とリポートすると、それを聞いた北の富士は、「誰ですか、その付き人って?親方みたいなことを言う付き人ですね。」と冗談とも本気ともとれる口調で突っ込んでいた。
2009年1月場所8日目、正面ゲストにかつて土俵上で激しくしのぎを削った輪島が登場した際に、ラジオ中継の解説をしている姿がテレビに映されたが、帽子にジャンパーというきわめてラフな格好であった。輪島に関しては「岩みたいだった」という表現で当時の強さを語った。
2009年3月場所12日目、関脇把瑠都が栃煌山をつり出して破った相撲の後のコメント。「栃煌山は吊らっれ放しじゃなくてもっと抵抗しないと。鮭じゃないんだから」。
2009年3月場所12日目、高見盛が安見錦に勝利した際、安見錦が膝を痛めたことに高見盛がいつものように意気揚々と引き上げず心配そうにしてる姿を「相手に気遣うことも出来て見ていて清清しいね」と絶賛。毒舌だけじゃなく素直に褒めることもあるのが解説者として人気の要因として考えられる。
2009年3月場所千秋楽、248kgの山本山が登場した際、山本山が13日目豊の島戦で相手の機敏な動きについていき勝利したことに対して「あれはただのデブじゃないと思いましたね」。
旭川市観光大使である。
北の富士賞 [編集]
自身の達成以来十両での全勝優勝が長らく出なかった[12][13]ため十両で終盤まで全勝の力士がいると「全勝優勝したら僕からも何かやりたいね」と言っていた。2006年3月場所に把瑠都が達成、この際に実況のアナウンサーにより前述の全勝優勝祝いが『北の富士賞』として紹介された。把瑠都の全勝優勝インタビューの際にアナウンサーが「北の富士関は横綱まで行きましたが把瑠都関はどこまで行きたいですか?」と言った時に「横綱、横綱」と発言するなど早くも横綱昇進を期待している。
年寄変遷 [編集]
井筒 勝昭(いづづ かつあき)1974年7月9日-1977年11月4日
九重 勝昭(ここのえ-)1977年11月4日-1992年4月1日
陣幕 純樹(じんまく じゅんき)1992年4月1日-1994年11月6日
陣幕 克昭(じんまく かつあき)1994年11月6日-1998年1月31日(退職)